つぶらeyes

日々の見た目

もう26年

まだの揺れは頭を患ってもバッチリ思い出せる。
毎回言うけど揺れの前に突然目覚めて ”ン?”
すぐにドスンと下がって今度は横揺れ。

かなり揺れた後、狐につままれたような気分で
とにかくNHKのニュースを視聴。

結局すぐには被害状況など分からずに後から後
から流れてくる映像がだんだんひどくなって。

道路がやられてすぐには救援にも行けなかった
けれど、私の救援担当地域は豊中市から伊丹市
宝塚市

ガス会社の社員なのにガスは供給所で止まって
いるから先ずは各地で噴出している水道をとに
かく止めて回ること。

豊中市にあった間組の社員寮の側に行った時は
4階建てが2階が無くなって3階が1階の上に
乗っかっているのを見て愕然としました。

伊丹の2階建てのお宅は階段が壁から離れて、
外れてしまって上に上がれない状態で、ちょう
活断層の割れ目の上で、庭の水道が破裂して
いて水を止めて生活用水が出せるようになるま
での作業が先決だった。  ですねぇ。

母が亡くなった翌年だったので、前の年でなく
て良かったと思ったものです。

 

どう考えても26年も前のことだったとは思え
ません。

 

あの大きさに相当する大震災が今起こったら。

我々の生活はコロナとのダブルパンチで崩壊
どころでなく本当に崩壊ですね。

6434人が犠牲となった中、薬も点滴なども
含めてみんな足りず。
今は備蓄する制度が確立したけれど、コロナで
医療がガタガタになっている中では無理。

救援要請を受けても感染も怖くて行くに行けな
い。
今は建築士としても緊急被災建物診断士の業務
も県からの.要請があるだろうから、技術職員と
して救援に行くか選択を迫られるだろうし。

体力も持たないだろうな。

 

 

災害が重ならないことを祈るしかありません。
今朝も紀伊水道地震があったばかりです。