つぶらeyes

日々の見た目

もう一つの金峯山寺

吉野山へ上がった時は、まずは桜の時期。
盆地の桜が3月下旬から4月の初旬で、その頃は
吉野では吉野神社から下の『下千本』の頃となり
蔵王堂の辺りの『中千本』は十日過ぎ頃で、その
上の『上千本』が二十日頃、奥千本は下旬が見頃。

それ以外は今回のような特別御開帳があるとき以
外で訪れたことは記憶に在りません。

車では桜の頃は渋滞が多すぎ長すぎるので近鉄
吉野線橿原神宮駅以南)で行ってロープウェイ
で登るか、ロープウェイが止まっているときは、
奈良交通の臨時バスで。

ロープウェイで行くと参道のいろんなお店が見ら
れてとても楽しい。 でも余計なものを買ってし
まいそうであきません。

いつもは蔵王堂の参拝だけで帰ってしまうのです
が今回は【脳天大神龍王院まで455段】と言う
看板を見つけてしまい好奇心をそそられました。

蔵王堂から少し坂を下りたところには後醍醐天皇
が行在所とした実城寺があったそうで、第二次世
界大戦の戦死者と有縁無縁(うえんむえん)の霊を
合祀する三重塔として昭和33年(1958)に建立され
南朝妙法殿と言う名称で元来南朝の四帝と忠臣
たちを祀ってあるそうです。

 

 

そこからまた少し降りて行くと、昭和42年(1967)
11月24日、インド政府から贈呈された仏舎利(お
釈迦様の御真骨)を安置してある仏舎利宝殿があり
ました。

そこからまた先へ進むとその455段の階段道が

 

 

呼吸器系を傷めている上に2年の間に2回も脳で
入院して、下半身の筋肉が弱り切っている中で、
何度も何度も断念しようとしました。
下って行くということは登って来ないと帰れない。
建物があるってことは車の通れる道もあると思う
のだけど、通常の県道15号線(桜井明日香吉野
線)からはドンドン離れていくので、自力で登ら
ないと戻れなさそうなのが不安でした。

 

 

途中の役行者銅像や、狛犬ならぬ狛蛙など
見ながら、「もう少し先まで行ってみよう」と
自分に追い打ちをかけて下りました。

 

 

やっとたどり着いたのが【脳天大神龍王院】
昭和26年(1951)、当時の管領五條覚澄(かくち
ょう)の手によって創祀(そうし)され、蔵王
の西方の谷あいに位置しています。
「脳天さん」と多くの人に呼ばれ、 首から
上の守り神として崇められられているそうで
しっかりお参りして来ました。

 

 

 

 

結局、ハアハア言いながら休み休み、次の鳥居
次の鳥居(約20段ぐらいごとに在る)と目標
を決めて蔵王堂まで戻りました。

 

尻と腿の筋肉痛が3日ほど続きましたとさ。